TOPページへ
このページです
「八方除・ご祈願」のページへ
「境内」のページへ
「お祭り・行事」のページへ
「お宮まいり」のページへ
「七五三」のページへ
「お守り」のページへ
「ご祈願の流れ」のページへ
「神社の四季」のページへ
「お問い合わせ」のページへ
「交通のご案内」のページへ
「検見川神社の結婚式」のサイトへ
「社報」のページへ
ご由緒
※三柱の神を総称して神祇三社検見川大明神と奉称致します。
下総天満宮(しもうさてんまんぐう)・・・・・・菅原道真公(学問・天災除の神)
嵯峨大地主神社(さがおおとこぬしじんじゃ)・・土公神(地震除の神)
天地神集神社(あめつちかみつどえじんじゃ)・・八百萬神
難波塞神社(なんばさいじんじゃ)・・・・・・・疫病除の神
江戸湾金刀比羅宮(えどわんことひらぐう)・・・金刀比羅大神(海上航海安全の神)
三峯神社・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三峯大神(盗難除の神)
古峯神社・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本武尊(勝負事の神)
市神之社・・・・・・・・・・・・・・・・・・・夷  神(商売繁盛の神)
浅間神社・・・・・・・・・・・・・・・・・・・浅間大神(子育て・子守りの神)
鷲神社・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鷲大明神(開運招福・商売繁盛の神)
三峯神社(旧称 犬飼神社)・・・・・・・・・・三峯大神(盗難除の神)
歴史と伝統のある検見川の地に鎮まります検見川神社の御創祀は、およそ1200年前平安時代前期第56代清和天皇の御代にまで遡ります。
当時は、人臣として初めての摂政である藤原良房が清和天皇の外祖父として実権を掌握し、養子基経と共に摂関政治を藤原氏が確立した時代であります。
この天皇の御宇貞観11年(869年)全国に流行した疫病を鎮めるため、その消除を全国規模で祈りました。その時、下総国(現在の千葉県)で素盞嗚尊(すさのおのみこと)が祀られ、災厄消除を祈った場が当地(嵯峨という地名を持つ)であったのです。古来より国家単位の災いをも取り除くほどの神威の轟きます地なのです。
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)は、平安時代後期藤原氏の勢力が衰微し、天皇が院庁に入って政治をみる所謂院政期に祀られ始めました。
第74代鳥羽法皇の院政期、第76代近衛天皇の御宇久寿2年(1155年)、勅命により平良文(将門の叔父)の流れを汲む千葉氏庶流で鎌倉初代将軍源頼朝配下として活躍する上総介廣常・金田小太夫頼次兄弟並びに頼次縁者三浦義澄等が、下野国(現在の栃木県)奈須原に於いて妖狐九尾の狐を退治した事件がありました。その内の一人頼次は、九尾の狐の霊威を畏み、崇敬していた宇迦之御魂神を祀りました。
その後金田氏は、執権北条氏、足利将軍家、又、松平清康(徳川家康の祖父)、宏忠(家康父)と代々有力支族及び徳川恩顧の家臣として仕え栄えることになります。
そして頼次の20世の孫である金田銀太夫正明が検見川の地を領有した時代、第108代後水尾天皇の御宇元和2年(1616年)検見川大明神の御神域に宇迦之御魂神を御奉賽し、現在に到っています。
伊弉冉尊(いざなみのみこと)は、室町3代将軍足利義満が南北朝を統一せしめた時代第百代後小松天皇の御宇応永16年(1409年)以来嵯峨の地に祀られていました神様であります。尊は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と共に我が国の母神であり御神徳の高い神として人々に敬われています。江戸時代になり、金田正明が日頃崇敬していたこの神を寛永年間(1624〜1644年・第3代将軍徳川家光治政下)に現在地に遷し、祭祀を営んだのが最初とされています。
このように、古来より民衆は勿論有力武将の崇敬も厚いいともかしこき神を祀る神社として、その御神徳を高揚してきたのであります。
この三柱の神の鎮まります社を「神祇三社検見川神社」と尊称し、今日に至っているのであります。
前のページに戻る ページのTOPへ
Copyright © 検見川神社 All rights reserved.